頼まれごとが、人を沼らせる
アメリカ建国の立役者、ベンジャミン・フランクリンにまつわる有名な逸話があります。自分を嫌っている政敵と仲良くなりたいとき、彼は贈り物をしませんでした。逆に「あなたが持っている珍しい本を貸してほしい」と頼んだのです。相手は本を貸し、そこから友情が生まれました。
この逸話を確かめようとした心理学の実験もあります。参加者に実験の報酬を渡したあと、一部の人にだけ、実験者が個人的にこう頼みました。「実はこの実験、費用を自腹で出していて、資金が足りなくなってしまって。よければ、さっきの報酬を返してもらえませんか」。頼まれた人たちは報酬を返してあげます。あとで全員に実験者の印象を聞くと、頼まれて助けてあげた人たちの方が、何も頼まれなかった人たちより、実験者を好きになっていました。お金を返したのに、です。
人は、助けてくれた人を好きになる。これは自然です。でも実験が示したのは逆向きで、人は自分が助けてあげた相手のことも好きになる。「わざわざ助けたんだから、この人は自分にとって大事な相手なんだろう」と、心が行動に合わせて気持ちの方を調整するからです。
枠を好きになる道は、2本ある
これを配信に置き換えると、こうなります。リスナーさんがある枠を好きになる道は、実は2本あります。1本目は「楽しませてもらう」。配信の楽しさ、名前を呼んでもらえること、感謝されること。どのライバーさんも、ここは全力でやっています。
2本目が「自分がこの枠を助けた」。さっきの実験の道です。助けた側は、助けた枠を好きになっていく。
楽しませて、感謝して、何ひとつお願いしない枠は、理想的に見えて、この2本目の道が閉じています。リスナーさんの側に「自分がこの枠を助けた」という体験が生まれる場面がないからです。感謝はされる。でも、好きになってもらう道を1本だけで走っていることになります。
とはいえ「じゃあお願いを増やそう」という話ではありません。やることは、与えるものと、頼むものを分けて決めることです。
与えるのは、いままで通りでいい。配信の楽しさ、名前を呼ぶこと、感謝。ここは全力で与える側に立ちます。
頼むのは、お金以外の小さなことだけ。たとえば、席を外すあいだの留守番。初見さんが来たときのひとこと。企画の名前決め。「どっちがいいと思う?」の意見。なかでも強いのが教えてもらうことです。ゲームでも料理でも、相手の得意な分野を教わる形なら、相手を立てながら「助けてもらった」という体験も残せます。
もう起きていること
実はこの2本目の道、多くの枠ですでに使われています。「戻ったよ、留守番ありがとう」「初見さんに声かけてくれて助かった」。こういう言葉を自然に使っている人は多いはずです。
あれは場をなごませる社交辞令ではありません。リスナーさんに小さな役割を渡して、役割を受け取った人がこの枠を好きになっていく。まさにあの実験と同じことが、あの一言のまわりで起きています。ここを狙ってやれるようになると、誰に、何を、どのタイミングで頼むかの選び方が変わってきます。
ひとつだけ、この仕組みに乗せられないものがあります。お金の頼みごとです。応援の催促だけは「助ける喜び」ではなく「請求」として届くので、ここは別の話になります。
与えることと、頼ること。逆向きに見えて、どちらも「この枠を好きでいてもらう」ための道です。2本目の道は、気づかないまま使っている人がいちばん多い道でもあります。狙って置けるようになると、効き方がだいぶ変わってきます。
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