コメントを拾うことと、分かってもらえたは別
親しさがどうやって育つのかを調べた心理学の研究に、こういう整理があります。親しさは、次の3ステップが一周するたびに一段深くなる。
1. 片方が自分のことを話す。出来事でも、気持ちでも、弱音でも。
2. 相手が反応する。
3. 話した側が「分かってもらえた」と感じる。
大事なのは3番です。反応したかどうかではなく、相手がそう感じたかどうかで決まる。ここから、配信でいちばん見落とされやすい区別が出てきます。
誰にでも返せる言葉と、その人にしか返せない言葉
「仕事疲れたー」というコメントに「おつかれさま!」と返すのは、ちゃんとした反応です。拾ってはいる。
でも「先週言ってたあの件、まだ続いてるの?」と返せたとき、初めて理解の証拠が渡ります。前者は誰にでも返せる言葉で、後者はその人にしか返せない言葉だからです。
にぎやかなのに関係が深まらない枠と、静かでも濃い枠の差は、反応の量ではなく、この証拠が渡っている回数のほうにあるように思います。
覚えて、次に聞く
「あの件どうなった?」を自然にやっている人は多いはずです。ここで足したいのは、あれが雑談のついでではなく、親しさが育つ経路の本体だという位置づけです。
もうひとつ、方向の話があります。ライバーは自分のことを話すのが仕事なので、放っておくと話す側に偏ります。偏ったままで育つのは、テレビの人への愛着に近い形です。こちらは相手のことをよく知っているのに、相手はこちらを知らない、一方通行の形。そこから「自分のことを分かってくれる人」への愛着に進むには、リスナーさん側の話を引き出して、覚えて、次に会ったとき続きを聞く必要があります。
もちろん、全員分を覚えて聞くのは無理です。だから誰にその手間をかけるかを選ぶことになりますが、少なくとも「拾えているから大丈夫」ではないことは、先に知っておく価値があります。
拾うことは、関係の入口です。証拠を渡すのは、その先の話でした。
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