「投げて」と言えないのは、弱さではない
駅前で、大道芸を見たことがあると思います。すごい芸で、人だかりができて、みんな笑って拍手して。それでも最後に帽子が回ってくると、多くの人はお金を入れずに帰ります。楽しかったのは本当なのに、です。
枠でも同じことが起きます。楽しんで、笑って、そのまま帰る人が多数派。だから「本当はお願いなんてしたくないのに、言わないと動かない」という板挟みになる。あの言いにくさを抱えている人に、先に伝えたいことがあります。
「言わなくても集まる」は、歴史上ほぼ無かった
いい芸をすれば対価は自然に集まる。そうあってほしいのですが、歴史を見渡しても、見るのが無料で、払うかどうかが完全に自由な興行が、それだけで成立していた例はほとんど見当たりません。昔の芸人を食べさせていたのは観客のその場の善意ではなく、ひいきの後ろ盾や、入場料のように払い方が決まった仕組みでした。チップの文化が回っている国も、「払わないと恥ずかしい」という空気の強制力が裏で働いています。
つまり、払わない人が多いのは国民性でも、あなたの芸が足りないからでもなく、構造です。「言わなくても投げてもらえる状態」を目指して消耗しているなら、それは歴史上ほとんど前例のない場所を目指しています。
お願いは、しくみに言わせる
では何が対価を成立させてきたかというと、しくみです。Pocochaでいえば、イベント、ボーダー、応援の目標。これらの大きな働きのひとつは、お願いを、あなたの代わりに言ってくれることだと思っています。
「私にお金をください」は言えません。でも「今日のボーダーまであと少し」は言えます。同じことを頼んでいるのに、後者は主語が自分から状況に移っている。お願いが上手く見える人がやっているのは、たぶん心臓の強さではなく、この置き換えです。
ただし、しくみだけでは人は動きません。関係のないところでボーダーの話をしても、ノルマの読み上げに聞こえるだけです。「この人を勝たせたい」という気持ちは、日々の関係の側にしか生まれない。しくみが渡せるのは、その気持ちに払う口実とタイミングを与えることまでです。気持ちは関係が作り、言う仕事はしくみが引き受ける。この分担がそろったとき、お願いはお願いでなくなります。
お願いが苦手なままで、いいと思います。その感覚は、枠がお願いの場に変わりかけたとき、最初に気づかせてくれる側の感覚です。目標をボードに書いて貼っている人は、実はもうこの置き換えを始めています。言う仕事はしくみに任せて、あなたは「ありがとう」の側を受け持ってください。
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