「無理しないで」が言えるライバーが強い理由
行動経済学に、人がお金をどう管理しているかの研究があります。人は財布をひとつとして扱っていません。生活費、交際費、趣味。頭の中で用途ごとに分けて、それぞれに別の天井を置いています。だから「趣味に使えるお金の限界」は、収入の限界とは別のところにあります。そしてときどき、その天井を超える応援が起きる。
超えるとき、何が起きているのか。天井が上がったというより、そのお金の意味が、趣味のお金とは別のものに変わっていると読むほうが自然な気がします。守りたいから出す。一緒に作っているから出す。返しきれないものをもらったから出す。意味が変われば、「いくらまでなら」の感覚も変わります。
無理をした翌月に、静かになることがある
ここまでは、応援する側の心の動きとして自然な話です。その後に、ひとつ気になることがあります。無理をして出した人が、そのあと静かにいなくなることがある。理由は飽きとは限らず、使いすぎた罪悪感や家計の事情であることもあります。使いすぎた月の翌月、その枠を見ること自体が気まずくなる。
枠から見ると、これはいちばん悲しい失い方です。関係が壊れたわけでもなく、嫌われたわけでもないのに、いちばん深く応援してくれた人が消える。
止める言葉は、いちばん強い信頼の証明になる
そこで、逆説的なことが起きます。「今日は無理しないで」と言えるライバーのほうが、結果的に深く応援されているように見えます。止められた経験は、その人にとって「この人は自分を数字として見ていない」という証明になるからではないでしょうか。「大事に思ってるよ」と言葉で言うことは誰にでもできますが、実際に応援を止めてみせることは、そう思っていないとできません。一度そう思われた枠は、その人にとって安心して長くいられる場所になります。
目指す形はたぶん、こうです。大きな応援が起きるのは年に数回のここぞで十分で、普段は無理のない範囲で続いている。配信中に自然と「無理しないでね」が出ている人は、すでにこの形を作っています。
数字を守りにいくと人が減って、人を守りにいくと数字が残る。順番が逆に見えるところが、この仕事の面白いところだと思います。
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