枠は、なりたい自分を選び直せる場所
「第三の居場所」という言い方には、元ネタがあります。1989年にアメリカの社会学者が書いた本で、家庭でも職場でもない三番目の場所、つまり酒場やカフェや床屋が、人にとってどれだけ大事かを論じたものです。
面白いのは、その本が「第三の場所」の条件を具体的に並べているところです。会話が主活動であること。常連が場の空気を作ること。出入りが自由であること。そして、いちばん重要な条件がこれです。
入口で、肩書が効かなくなること。外での立場や役割を、持ち込まなくていい場所だということです。
役割が「選べる」場所は、案外少ない
ここから、枠の居心地の正体がひとつ見えてきます。
家庭でも職場でも、役割は割り当てられるものです。課長であること、親であること、いちばん下の後輩であること。自分では選べません。
ところが枠の中では、名前ひとつで自分の役割を選び直せます。気前のいい兄貴分にも、静かに見守る常連にも、初見さんを迎える番頭役にもなれる。しかも現実の酒場と違って、その選んだ自分を名前で呼んで承認してくれる人が、常に配信に映っています。
「距離が近い」と言われるものの中身は、たぶん半分がこれです。近いのは物理的な距離ではなく、その人が選んだ自分を、こちらが受け取って返していることのほうでした。
すでに、役割は育っている
枠を続けている人なら、この現象はもう見ているはずです。いつのまにか初見さんに最初に声をかける人がいて、盛り上げ役がいて、静かに毎日いる人がいる。誰も配役していないのに、役割が決まっていく。
ここで足せる視点は、その役割は本人が選んだものだということです。だから役割を認める言葉は、褒め言葉よりも強く届きます。「◯◯さんがいると初見さんが入りやすい」は、性格を褒めているのではなく、その人が選んだ役どころを公認しているからです。
逆に、良かれと思って役割を作り変えようとすると、その人が選んだ自分の否定になります。仲間に入りたくなさそうな人を輪に入れようとする働きかけが、なぜか裏目に出るのはこのためです。
枠は、その人が家でも職場でもなれない自分になれる場所です。ライバーはその場所のホストで、その役割を承認できるほぼ唯一の人でもあります。
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